学生生活で気をつけていたこと

発症後の学生生活

こんにちは!おかんです。

今日は久しぶりに気温が上がり、暑かったあの夏のころを思い出します…

おかんはIBSガス型でしたが、思春期はありましたからねぇ~

さて、16歳にしてIBS、過敏性腸症候群ガス型となったわたくしこと、ibsおかんですが、初めての心療内科を受診後は、それを最後に心療内科へはかかることなく日常生活を過ごしてきました。

おかんは心療内科での先生と交わした話、そしていただいた薬を飲んでみても、まったくおならの回数が変わるものじゃないし、気が楽になったかというと、そうでもなかったし、また、親に内緒で心療内科へ通っていたために、この先の通院を続けることへの抵抗も感じており、『この先の通院はやめておこう』と決めてしまったのです。

そのときに感じたことは親に知られて心配を増やしたくないと思ったこと、そして、それを知った母はいつも以上に取り乱すことが予想でき、家族の心配をこれ以上増やしたくないと思ったこと、また、そうしたことになってくれば、家族に話したことが逆に私自身の体調にも影響を及ぼすことになると思ったからです。

自分の体調のことを話したい、聞いてもらいたいと思っても、きっと母は逆に取り乱してしまい、結局そんな母のケアを私がそのあとしなきゃならないと考えたことで、16歳おかんは、『親兄弟には話さない。自分でできることは自分で解決するんだ。』と、決めたのです。

なんて母親泣かせの娘なのでしょうね・・・

自分が母親になった今、娘からこのように思われていて、信頼されていないと知ったら、とてもショックです・・・

この経験を通して、おかんは、『将来、子供を授かることができ、子育てをする機会ができれば、どんな状況であったとしても、子供の話を聞く耳を持ちたい』と思ったものです。

さて、16歳おかんがIBSガス型を発症してから気をつけていたことですが、親兄弟、学校の先生、友人へもこの体調による悩みを打ち明けていなかったため、16歳の自分なりにできることを精一杯取り組んでおりました。

ただでさえ、この病気を発症してしまったことで、肉体的にも精神的にも追いつめられていたのですが、ここでまた奮起してしまうというのは、今思い出しても、このIBSとのおつきあいにはよくなかったものだと思います。

根っからの真面目なのですよ。おかんって。

真面目でがんばりすぎるがゆえ引き起こしたことなのに、出口を探そうとまた必死にがんばってしまい、心身ともに大変疲労を感じるようになっておりました。

毎日の人生に目標をもって、真面目に生きてきたおかんがでしたが、この過敏性腸症候群ガス型発症には、自分自身が衝撃を受けてしまい、止めることのできない自分の身体の変化を受け入れることはとても難しかったです。

あるときのおかんは、目標があり、学ぶことが楽しく、前向きな私。

またあるときのおかんは、お腹がガスでパンパンに張ってしまい、苦しくて身体中が緊張して、全く余裕がなくなり、誰とも目を合わせたくもなくなり、別人な私。

そのときの症状によって、こんな二人の私が出てくるのですが、心のなかでは、『自分の意志で思い描くような自分自身でありたい』という気持ちがいつも強く、願っていてもそうはなれないときの自分には涙し、思考錯誤と今日の自分はどうなのだろうか?と自らに問いかけ、不安のなかにも、『今日の一日はお腹のガスに左右されずに喜びの気持ちいっぱいで一日を過ごしたい』と希望を持ちながらの学生生活を送っていました。

おかんは、ありきたりですが、身体をしっかり休めるために睡眠をとること、朝食を必ずとり、トイレにいくこと、排便のあとは冬でも必ずシャワーを浴びて身支度すること、身体を冷やしすぎないように気をつけること(薄手の上着を持ち歩く、見せパンを履く)には気をつけていました。

学生生活も時間に余裕はなかったので、できるだけ余裕をもつことを気をつけておりました。

時間に余裕さえあれば、困ったときにはトイレにだって行けるし、着替えもできるし…と。

自分なりに安心できる項目を増やすために、あめ玉を持ち歩いたり、アトマイザーを持ち歩いたり、心ときめく可愛いものを周りに置いて気分を変えられるようにしていました。

IBSを発症してからは、ほんとうに他愛もないことが大切に感じられるようになり、家で安心してのんびりと座っていられることや、テレビを見て笑ったり、泣いたりできることが幸せなのだと思えるようになりました。

ただし、毎日の症状はどんなに気をつけても激減するわけでもなく、そんな体調に左右されて、また傷ついたこの心を癒し、慰めるために私が必要としていたのは本を読むことでした。

みなさん人それぞれに、悩みがあれば友人や親、兄弟に話をして聞いてもらったりするのでしょうが、おかんは、読書を通じて、会ったこともない人のそしてリアルタイムでもない、手に取ったときに触れたときにそこにある言葉の数々に、心打たれ、ときには涙し、安心感を得ながら、苛立つ自分や興奮する自分の気持ちをおさめていたものです。

おかんにとって、“読書”は“本”は、かけがえのない一生の友であり、どんな状況であってもおかんのこり固まってしまった気持ちを溶かし、ニュートラルな自分に戻してくれるものなのです。

おかんは、読書の時間を大切にし、本をたくさん手にとる、というよりも、いくつか読んだ本のなかで繰り返し心に刻みたい部分を自分のものにできるように、丁寧な字でノートに書き写しては何度も眺めてきました。

20年経った今は、当時のノートは処分してしまいましたが、15年ほど前のものはまだ手元にあります。

16歳おかんは、そうやって“読書による言葉集め”をすることが、自分の心身の調整に役立つと考え、書店、図書館、古本屋へと足を運び、言葉を探し求めていたのです。

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